きょうもあるく

歩きながら感じたことを書きとめておきます

川岸観音堂の続き

川岸観音堂の続きです

情報がないと逆に気になってしまう

 

検索していたら岡谷にも川岸というのがあり

それで気になっていたのかな

 

そしてあんまり情報がないみたい

 

 

 

【川岸観音】 北上川畔川岸にあり本尊は尺餘の金銅像にして印度波来のものと傅ふ八幡太郎義家の守本尊たるを勧請して堂宇を建て地方民の信仰帰依する所となる和賀三十三番札所の一なり。

machiwotekuteku.blog.shinobi.jp

 

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誰が管理しているのか

どの宗派のものとか普通は書いてあるのだけれど

なかったからみんなでお祀りしているのかな

だとしたらますますお賽銭はずんでよかった

 

【川岸観音】 

北上川畔川岸にあり

確認済み

 

本尊は尺餘の金銅像にして印度波来のものと傅ふ

見ていないからわからない、縁日とか、お掃除の時とかあるのだろうか

あるいは近くの人に聞くしかない

 

八幡太郎義家の守本尊たるを勧請して堂宇を建て

知らない、譲っていただいたのかも

 

地方民の信仰帰依する所となる

和賀三十三番札所の一なり

 

「和賀三十三番札所」と引いてもよくわからなかった

daijo-kagura.jimdo.com

 

 

こういったことを長い間伝えて行くのは大変なことなんだとしみじみ

 

4travel.jp

 

ここからレビューを引用すると

北上駅東口から徒歩10分、北上川の川岸に近く、住宅地の中にあります。今から900年以上昔、源頼義が建立したとされてます。その間に水害や火災にもならず、現在まで存続されているのは奇跡的です。これが関東地方でもあれば、国宝級の歴史的価値があるでしょう。その古さも感じます。芭蕉の句碑『 川上と、このかわしも 月の友 』がありました。

 

川岸観音堂は、北上川をはさんで展勝地の反対側の住宅地。空き地のような場所に、ぽつんとお堂が建っているのですが、宝形造りの建物は一見して歴史的な建物だと分かります。
案内板には、前九年の役安倍氏を攻めた源頼義が焼け野原になって荒れ果てたこの地に建立したものという歴史が紹介されていました。つまり、観音堂は900年以上たっているとされていましたが、現在の建物はさすがにその後のものだとは思います。

 

そう、D.J.HIROもすごいと思ったのが

900年、水害や火災にもならず残っていること

のわりには普通にあったりするわけで

しかもどこの社寺かとかでもなく

すごいなー

 

でも900年という表現が

建ってからというのが観音堂というもの

あるいは

今の建物

とで違いがあるわけだから

 

後者だと思ってしまったことが果たして正しいのか

そこを検証したいものですね

 

ここに問い合わせればわかるのかな?

 

daijo-kagura.jimdo.com

 

あるいは市役所?

 

そうそう、調べているうちにわかったことが

北上駅は昔「黒沢尻駅」だったらしい

どうして変えたのかも気になる

 

北上駅 - Wikipedia

 

歴史というのは、定説以外にもたくさんの諸説があるからね

kajikablog.jugem.jp

 

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%8C%97%E4%B8%8A%E5%B8%82